東洋堂医院は、糖尿病、胃腸疾患、便秘、痔、肝臓疾患、アレルギー体質(花粉症、喘息、アトピー)、不妊症、婦人科疾患、にきび、皮膚疾患、リウマチ、各種癌、慢性疲労、
冷え性などでお悩みの方が(「患者層」を読む)、日本各地から来院される漢方専門の医院です。

HOME » 症例別臨床録 » 各種ガン » 食道癌(68歳男性)

食道癌(68歳男性)

患者 68歳男性

初診日 平成6年4月3日

既往歴 昭和43年に胃潰瘍を手術。3年前に肺線維症、2年前に椎間板ヘルニアを羅患。

症状 患者は以前、当医院で勤務していた女性の父親で長野でリンゴ園を経営している。
3月下旬に、突然夜間に電話があり「実は自分の父親が食道癌であり、家族一同が今相談しているが、どうして良いか判らないので電話をした」と言うことであり、次に女性のお兄さんが電話に出て「父親は只今入院中であり、ほとんど助かる見込みはないと院長に言われた。そこで漢方でなんとかならないものか」と言う。
良く考えて、とにかく診てみましょうと言って電話を切った。
ところが4月3日に自転車に乗せてもらって来院した。

主訴は、1月末より胸焼けとゲップ、また心下部が重苦しかった。
その後、胃のいろいろな症状が出現し、胸の上、背中が痛むようになり、断続的であるが食道のあたりからチラッと痛みを感じる。
胃の重苦しさは続く。3月25日に入院して、今も入院中で抜け出して今日ここに来た、ということであった。
その他の症状は、方と項背部の凝りがあり、咽頭部の閉塞感がある。喘鳴、咳嗽、喀痰もあり口渇もある。物忘れがあり、疲れやすい。

健康状態 食欲はあるが、少ししか食べられない。偏食があり、酒は1日に軽く1杯程を飲む。
湯茶を好み、食後眠くなる。精神的にもとても不安である。
大便は1日1回で普通便。小便は普通。睡眠は良くない。身長158cm、体重58kg。
診察すると、脈診は沈にして力が非常に弱い。舌を診てみると、湿潤して、黄苔を認める。
血圧148/84、脈拍52。痩型で、血色は普通、皮膚の艶は中等度である。
以上本人には癌の告知はされていないが、全体的に見ると思ったより弱っているとは思われない。

経過

4月3日(来院時)
利膈湯に十全大補湯を合方して与え、兼用として田七と霊芝を持たせて様子を見ることにした。

4月13日
同方を投与。

4月27日
同方に紫根を加味して投与。
以後5月中に連絡なし。

5月中に連絡がなかったので、やはり駄目だったのかと考えていたところ、6月10日になって娘さんより長文の手紙が届いた。 以下少し長文になるが、識者の参考になると考えて引用させて頂くと、

「前略。皆様お元気でお過ごしですか? 今日は、お知らせしたいことがあってお手紙を書きました。

父は、5月9日から3週間に渡って1回目の治療を終えました。 6月6日からは、もう2回目の治療に入ったわけですが、6月5日(日)に、 病院の先生の方から1回目の治療成果の報告と説明がありました。

1回目の治療(放射線・抗癌剤)としてはきわめて順調というよりまれにみる回復に先生もびっくりしていました。

癌の大きさとしては1/10以下になっているでしょうとの説明で、 写真で見る限り素人の私と母には、凹凸がわずかに残っている程度にしか見えませんでした。

とにかく、病院の先生はすごいとかまれですなどという言葉を使って説明してくれました。 実を言いますと、この治療を始める前の癌の大きさは5cm(5月6日)でも、その1ヶ月前(3月30日)、 転院する前の病院では10cmと説明されていました。

治療を始める前の1ヶ月と少し、父は漢方薬と民間療法をほんとうに一生懸命やってきました。 そのおかげで治療前に、すでに癌の大きさを半分近く小さくしていたのではないかと思います。

病院の先生は、病院の治療もしていないのに、漢方薬や民間療法などは効かない。ときっぱり否定しました。 先生のプライドとしてはそうかもしれません。でも半分近く小さくなっていたのは事実でした。

抗癌剤や放射線の副作用もきわめて少なく、白血球の数値も1度も落ちることなく、治療の途中で 外泊もできるくらいでした。

父は胸の痛み、声のかすれともとれ、益々元気になりました。病院の先生は「完治できますよ」と言ってくれました。 松本先生、大奥様、皆さんへの感謝の気持ちで、ほんとうに涙が止まらなくなりました。

4月初め、あんなに絶望的な気持ちでいたことがまるで嘘のようです。 癌を告知され、どん底から立ち直った父の生きる為の執念、それを支えた母や家族の思い、そして力を貸して下さった 松本先生や大奥様、みんなで拾い上げようとしている1つの命の尊さを、私は痛いくらい感じています。

父、本人は私以上に皆さんに感謝していると思います。父の大きな笑い声や叱る声が戻ってきました。

外泊で、家に帰ってくる時は、軽トラックを運転してりんご畑へ様子を見に行きます。 私の待っている生還する父がここに居ることを思うと胸があつくなります。

治療は、しばらく続くので、気は許せません。でも父が必ず治ることを、私は信じています。

皆様には、どんなにお礼を言っても言い足りないくらいです。 今度、お手紙を書く時は、もっといい報告が出来ることを望んでいます。

ほんとうにありがとうございます。今後もよろしくお願い致します。 これから暑くなりますが、お体には充分お気をつけ下さいませ。敬具」

と。この手紙から、種々な学ぶ事があると考えされられた。

以後順調で、12月7日に報告があり、9月に治療を終えて、益々元気になったということであった。
ただ、完治したと言うので、病院の先生が本人に、実は食道癌であったと告知してから患者本人は治っているにもかかわらず、大分驚いたらしく軽い不眠症になった。と言うことであった。